『人はロボットじゃない、生き物なんだ』『こころがあるんだ。だから素晴らしいんだ・・・』
人はロボットじゃない、と言って悪い気をする人はいないし、それを否定する人はいなさそうだ。逆にわれわれは人間だから『人間はロボットだ!』って言われるとみんなが嫌な気分になる。
なんでなんだろうか。人間とロボットはどこが違うのだろうか。そう言っている人たちは、人間と機械の違いを明確に言えるのだろうか。ただ、『人間だってロボットなのだ』ということを認めるのが恐いからじゃないか。人間って、そんなに特別なものなのだろうか。何が特別なのだろうか。
理由として語られる一つに、『感情』がある。感情があり、感情は機械的に外部からコントロールできないからロボットではない、という理屈だ。
感情はコントロールできない・・・?いや、感情は明確にコントロールできるんじゃないか。
うつになれば、抗うつ剤を飲めば収まる。テンションが低くても麻薬を吸えば、ハイテンションになる。ガッツポーズを取ればアドレナリンが出て気合いが漲る。モチベーションが上がらなくても、窓を開け、好きな音楽を聞き、いい椅子に座ればドーパミンが出てモチベーションが上がる。よくよく考えれば、外部からの入力によって、感情というのは確実にコントロールできるはずだ。
閑話休題。
人はなぜ事故を起こすのかを、機械的に捉えて考えてみたい。
事故は、人へのプログラミングのミスが原因で起こる。
人は獲物を捉えて食べていた。獲物は有限であり、有限なものを得るためには、誰よりも早くありつけないと生き残れない。誰よりも早く、誰よりも早く・・・という生存競争に基づく習性がプログラムされており、それが交通社会での衝動的な運転を引き起こし事故に繋がっている。
人のエネルギーは、獲物が現れたときに一気に使わなければいけない。つまり、無駄に使う事はできない。普段は極力、集中力・注意力を使いたくない。車の運転は、普段は安全であるため、この集中力・注意力を使わせないプログラムが働き、それによる反応の遅れが事故を引き起こす。
要は、狩猟生活時代の本能のプログラムが今も残っており、それが交通事故を引き起こした。狩猟時代を経ずに最初から自動車社会があれば交通事故というのは激減しているのだろう。それが分かれば、解決策は、根本のプログラムを書き換えるのか、根本のプログラムを前提として対処的なプログラムを付け足し対処するのか。対処は明確となる。
上は一例だが、人を『ロボット』として器質的に見ることで見えることは多い。そしてそれが結果的に人間の進化や問題の解決に繋がる事は多いのではないか。人間はロボットである、と言いたいわけではない。いったん人間をロボットとして見てみたら発見があるはず、ということだ。
『人間は特別である』というプライドが、思考を停止させている。
そんなプライドは、いったん捨ててみよう。











