タイトルを見て、気でも狂ったか!?と思われるかもしれない。
このセリフはよく言われるのだが、本当にそうなのかどうかはいったん置いておき、「理性」と「本能」という言葉を考えてみたい。
「理性」というのは、後天的に人間が組織で生きていくために獲得する、行動を制御する機能だ。赤ちゃんは感情の赴くまま行動するが、社会の迷惑になったり、人に不快感を与える行動をすると怒られ、その行動をしなくなる。いわゆる「学習」で、それによって獲得されるのが「理性」だ。「○○すべき」「○○してはいけない」という語尾で語られることが多い。
「本能」というのは、先天的に人間が有している、生きていくために必要な機能だ。自分や自分の子孫が生きていくために必要だから、食べ物を食べるし、自己主張するし、SEXをするし、お金儲けをするし、出る杭を打つ。「○○したい」という語尾で語られる事が多い。
最近ふと、「どっちが大事なんだろう??」と迷うシーンが多い。理性的に振る舞うのがいいのか、本能をむき出しにした方がいいのか。
当然いい大人になれば、理性的であるという事はどういう事かは分かる。場面場面によって違うだろうが、「取るべき行動」というのは有る程度規定されている。いわゆる空気を読む、TPOをわきまえるというやつか。目上の人の言う事にはうなずく、否定をしない、自分の主張は押さえる。人のグラスが乾けば、真っ先につぎにいく。ルールには絶対従う。
理性的に行動すれば、たいていは軋轢が起きないし、周囲から認められる。本能の赴くままに行動すれば、他者の本能を刺激し、不快感を生み、軋轢を生む。衝突を生む。
一方、本能を伴う行動は、やる気がみなぎり、圧倒的な行動力が湧き出て、集中力が持続し、脳が働き、クリエーティブなアイデアが出る。言葉に情熱が宿り、多くの人の心を動かす。理性的な行動には、魂が宿らない。パワーが出ない。多くの人がやっているため、やった結果、埋没する。
場面場面によって答えは違うのだろうし、2者択一ではないのかもしれない。
ただ言いたいのは、「全てにおいて、理性によって本能をコントロールするのが正しい」みたいな思想は、今の社会においては断じて違う、という事だ。
良く、安全運転をしろ、と言われる。というか、仕事柄、良く言っている。
人生における安全運転とは、理性的に生きることなのだと思う。法規を守り、周囲の状況を察し、空気を読み、「求められる事」をする。ただ、それは周囲と同じスピードで生きるという事と同義。本
当に何かを成し遂げたいのであれば、時にはスピード違反をして、一時停止無視をして、突っ走る事も必要なのではないか。それにより他者に先んずる事ができる。目的地に早く着くことができる。少しは危険を犯していいんじゃないか。誰も死ぬわけじゃないし。
一方、運転における安全運転(変な表現だが)は、絶対に行った方が良い。ものすごいスピードを出し、一時停止無視をして運転しても、目的地への到着時刻はたかだか30分のうち1分程度しか変わらない。メリットは事実上、ないに等しい。あるのは、錯覚だ。そして危険を犯すと、自分が死んでしまう、もしくは他人を死にいたらしめてしまう、大きなリスクを孕んでいる。